
ロッキング・ショッキングは今ではスペインファッション界の一部を構成する存在となっています。ロッキング・ショッキングは初めてのコレクションを1996年にバルセロナコレクション(ガウディ)で発表しました。その1年後に、アルバセテ・イ・メンクス監督の映画「アトミカ」のために行ったファッションジュエリーとアクセサリーのデザインのおかげで、同社の名前はこの分野のスペシャリストたちに知られるようになりました。
1998年には、コシノミチコがロンドンファッションウィークで行ったショーに協力することによって国際的な舞台に進出しました。海外への進出はその翌年も続き、彼らのコレクションはロンドン(Te Library、Browns Focus、Pineal Eye、Jones)、パリ(Onward)、ニューヨーク(Patricia Field)、アムステルダム(Razzmatazz)、および東京(Ash and Diamonds)の小売店で扱われるようになりました。1999年にはパリファッションウィークで発表されたDexter Wongのためのコレクションをデザインし、前回に続いてロンドンファッションウィークで発表されたコシノミチコのためのコレクションもデザインしました。
ロッキング・ショッキングはブルゴスのデザイナー、アマヤ・アルズアーガと定期的に共同作業を行ってきました。彼女の2000年キャンペーンのためのコレクションをデザインしたほか、ロンドンファッションウィークで発表された2001年夏のコレクションにも協力しました。2000年にはアマヤ・アルズアーガのマドリードの新ショップのためにSomelierコレクションを制作し、翌年にはロンドンファッションウィークで発表された01/02年冬のコレクションで再び共同作業を行いました。彼らがスペイン人デザイナーと行ったコラボレーションとして、バルセロナでスパストールが主催したファッションショーでの仕事が挙げられます。
彼らはリーバイスとも一緒に仕事をし、リーバイスの服をアートベースのコンセプトに変えることをベースにした1999/2000年冬のキャンペーンを立ち上げるなど、デザインとコミュニケーションのさまざまな側面で協力しました。彼らはこのキャンペーンを、他の9人のアーチストやデザイナーたちと一緒にマドリードとバルセロナのギャラリーで発表しました。その直後に、彼らはPatrick de Banaがスペイン国立舞踊団と上演したKelmadiのための衣装をデザインしました。2001年にはパリのワークショップ展に参加し、そこで01/02秋冬のコレクションを発表しました。同年、やはりパリで開かれたトラノイ展にも参加し、そこで2002春夏のコレクションを発表しました。
広告の世界との関わりは2000年にも続き、ラッキーストライク社のためにプロモーションデザインを制作しました。2001年にも再びラッキーストライクと共にデザインプロジェクトを手がけ、「サーキットIV」で発表しました。この年にはバルセロナの「サーキットI」にも参加し、Convert del Angelsでビデオインストレーションを発表しました。
2002年の初めにマドリードのLa Fabricaアートギャラリーに設置されたアーティスティックな設備を使って02/03年秋冬コレクションを発表しました。この年にはバルセロナの「サーキットV」にも参加し、02/03秋冬コレクションを発表しました。他の領域への進出に対する彼らの関心は、Arco 2002で行われたCarmen Canton Gelleryのアートプロジェクトに参加したことにはっきりと示されています。同年彼らはEGO, 10 anos de historiaアートプロジェクトにも参加しました。彼らのアート界への関与はその後も続き、彼らはドイツのカッセルで開かれたDocumentaで発表されたアートマガジンLa Ruta del Sentidoにも参加しました。
ロッキング・ショッキングは、最近マドリードコレクション(シベレス)の若手デザイナーショーでコレクションを発表しています。2003年春夏コレクションで、ロレアル・ベストコレクション賞を受賞し、さまざまなディベートや講演会にも参加しています。スペインファッション協会が主催したスペインのヤングファッションにおける前衛的傾向に関するディベートや、Canal de Isabel II Arte y Modaが主催したアートとファッションに関するアトリエに招待されて参加しました。