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デザイナー
  • プロフィール

    アントニオ・プッチ・カステージョ(Antonio Puig Castelló)は1914年、彼自身の名前を社名とした香水&コスメティックの企業を設立しました。そして、1922年、プッチ社はメーカーとして初の自社製品を発売しました。ミレディ(Milady)はスペインで製造された初めてのリップスティックで、瞬く間に大ヒットとなりました。そしておよそ20年後の1940年、プッチはブランドの基幹商品であるオゥ・ド・ドワレ、アグア・ラバンダ・プッチ(Agua Lavanda Puig)を発売します。スペイン独裁政権によって課せられた輸入禁止令のために、すべてスペイン国産の原材料(ローズマリー、多種多様のラベンダー、レモン)で作られたこの製品は非常に大きな市場シェアを獲得しました。

    同社の活躍はずっと続き、1942年、現在のプッチ・ビューティー&ファッション・グループ(Puig Beauty & Fashion Gruoup)の本社である、バルセロナのトラヴェセラ・デ・グラシアにさらに大きな社屋をオープンしました。ビジネスの成長は続き、プッチ社は1960年代にベソス工業団地、1995年にバカリッセス、いずれもバルセロナに新しく2つの社屋を建てました。

    1960年代には、すばらしいチームの創出と企業価値の強化という、グループ拡大の基礎が築かれました。プッチ社は、調査研究所との緊密な関係を維持し続け、高品質の香水とコスメティック製品を探求しました。また、アメリカでプッチ社初の海外法人を設立し、事業のグローバル化を始めました。

    プッチのグローバルな成長は、1968年にプッチ・グループに加わったブランド、パコ・ラバンヌとの契約を皮切りに、パリでのビジネスを立ち上げて以来、留まるところを知りませんでした。フランスでの徹底した活動が、やがて1968年のフランス中北部のシャルトル市における香水工場の建設へと繋がります。そして1980年代半ば、ファッションブランドとの契約に基礎をおくプッチ社の成長戦略は、デザイナー、カロリーナ・エレラ(Carolina Herrera)と、彼女のすべてのフレグランスを製造と、製品の市場開発という独占契約の締結で大きなターニングポイントを迎えました。1995年、プッチ・グループは、この契約にカロリーナ・エレラのファッション部門も組み入れました。そして1998年には、ニナ・リッチ・パリのファッションと香水部門も、プッチ・グループに加わりました。

    1995年、プッチ・グループはスペインブランド、ジェネッス(Genesse)とペルフメリーア・ガル(Perfumería Gal)の一部を獲得します。翌1996年には、プッチ・ビューティー&ファッションの持株会社を設立し、そこで、プッチ社の香水、コスメティック、そしてファッションビジネスのすべての経営を行うことになりました。2000年、これらの事業活動は、プレスティージ・ビューティー・ブランド、フレグランス&パーソナル・ケア、そしてファッションの3部門に再編成されました。同年、プッチ・ビューティー&ファッションはスペイン企業ミルルヒャ(Myrurgia)を獲得し、2001年にはペルフメリーア・ガルを傘下に収めました。

    過去10年にわたる事業の成長とグローバル化のおかげで、プッチ・グループに、総売上高は5倍増加し、2003年のグループ売上総額は8億9,300万ユーロに達し、そのうちの55%が海外での売上となっています。プッチ社の製品-大量販売用のフレグランスと高級フレグランス類の組み合わせ-は現在、ヨーロッパの7つの製造拠点と、メキシコの製造拠点2箇所で製造され、世界150カ国以上の国々へ流通販売されています。また、コスメティックの多国籍メーカー、コティと最近結んだ契約によって、アメリカ市場におけるプッチのブランドポジションは更に強化されています。