ファーとレザー製品のデザイナー、エレナ・ベナロッチ(Elena Benarroch)は1979年マドリードのモンテ・エスキンサ通り(C/Monte Esquinza )に第一号店をオープンしました。彼女が当初、最も力を注いだのが、原材料のリサーチと、ファーの持つ可能性を極限まで見極めることでした。ベナロッチがマドリードで初めて自分のファッションショーを開催したのはその翌年のことでした。
1981年には、スルバラン通り16番地(16, Zubarán Street)にエレナ・ベナロッチのショップをオープン。翌年、ベナロッチは、フランクフルト国際見本市でスペインを代表する機会を与えられ、そこでエンバのミンク・ガラ・イベントに参加しました。同年、ボッテガ(Bottega)社が、自社のコレクションをベナロッチの作品と組み合わせて発表し、その作品は、スバラン通りのベナロッチのショップで販売されました。
1984年、エレナ・ベナロッチは、初めて東京で作品を発表します。その年、彼女は、スペイン金の針賞を受賞。この頃の彼女のコレクションの特徴のひとつは、より軽やかで若々しい表情を作り出すために、加工していないミンクのファーを使って作品を創りあげようとしていたことです。彼女は、幾何学的なデザインと様々なトーンのファーを組み合わせました。この頃の数年間、ベナロッチは数多くの賞を受賞し続けていました。1985年、その年のベストコレクションに贈られる全米レジェンド・インターナショナル・アワードを受賞し、それによって、マキシミリアム(Maximiliam)社を通して、彼女の作品がアメリカ市場で販売されることになりました。そして1986年、エレナ・ベナロッチは遂にニューヨーク、マジソン・アベニューに全米第一号店をオープンしました。同じ年、彼女はフランクフルトでコレクションを発表します。またこの年は、マドリード・コレクションが初めて開催された年でもあります。この記念すべき第一回マドリード・コレクションの幕開けを飾ったのが彼女のコレクションでした。
その後も数々の受賞が続きます。1987年、カンビオ16デザイン賞を受賞。そして、マドリード、モンテ・エスキエンサ通り24番地(24, C/Monte Esquinza)に新店舗をオープン。その頃、彼女のコレクションには、ムスクラット、アーミン、ミンク、カルガン・ラムのファーにプリントを施したものが登場します。間もなくアンドレア・プフィツァーとエトロが、スバラン通り16番地のベナロッチェのショップ内へと移転し、このショップはスペイン屈指の高級アクセサリーショップへと変貌を遂げます。ベナロッチは、メンズ向けのミンクコレクションを創り、ミゲル・ボセによって発表されました。
1989年は様々な成功に彩られた一年で、この年、同社はヴォーグ・アメリカ版の表紙を飾ります。翌年、エレナ・ベナロッチは従来の「カタログ」という考え方を打ち破り、その代わりとして、ホアン・ガッティ(Juan Gatti)とハビエル・ヴァロンラット(Javier Vallhonrat)とのコラボレーションで、1990/91シーズンのコレクションのプレゼンテーションのためのビデオ制作を行います。そのシーズンには、彼女は、プラダとヴェルサーチと共に、テルバT金賞を受賞します。そして、かつてアンディ・ウォーホールが所有していたタウンハウスに、自身のアメリカオフィスを設立しました。
エレナ・ベナロッチは、ファッションとは異なる分野にいつも冒険を求めています。例えば1993年、彼女は、バービー人形の誕生35周年を記念したファーコレクション制作の依頼を受けました。また1995年には、ペドロ・アルモドバル監督の映画『カルネ・トレムラ』(ライブ・フレッシュ)のためのコートをデザイン。1997年には、自身のジュエリーコレクションを発表し、さらに、ドイツファッションデザイナーによる第一回メンズウエアコレクションでジル・サンダーと共に作品制作を始めました。その年、ハビエル・デル・カスティージョの著作『El sueño español(スペインの夢)』の中で取り上げられたビジネスウーマンは、彼女、エレナ・ベナロッチ、ただ一人でした。1999年、エレナ・ベナロッチは、自分の作品のカタログでフューチャーするモデルとして、そして、彼女の持つ若さが溢れるコレクションにしたいというインスピレーションの源として、自身の娘エールを起用し、自らのファッション界デビュー20周年を祝いました。