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デザイナー
  • Cristóbal Balenciaga
    クリストバル・
    バレンシアガ

  • お問合せ先

    プレス

    Angela Rubini (París)
    (34) 0156521717

  • ショップガイド

    スペイン

    海外

  • プロフィール

    クリストバル・バレンシアガは1895年1月21日にゲタリア(ギプスコア)で生まれました。このオートクチュールの巨匠は母がお針子だったことで、幼い頃からテキスタイルデザインに親しんでいました。1911年にサンセバスチャンに移り、アトリエPegasin du Luvreの職人頭として働き始めました。1915年にバレンシアガの名前で最初のクチュールハウスをサンセバスチャンに開店し、1921年にはマドリードに最初の子会社を設立しました。サンセバスチャンのアトリエで、バレンシアガはパリから入ってきたデザインをもとにパターンメーキングをしていました。これは当時の仕立屋の間で普通に行われていたことです。マドリードに店を開いたのは、バレンシアガがスペインのファッション界で成功していく最初のステップでした。この成功はすぐにスペインの外へ広がっていきました。

    1937年にはパリのジョルジュ5世通りに最初のアトリエを開き、同じ年に最初のパリコレクションを発表して成功への道を歩み始めました。彼の作品は常にけばけばしさを避け、時間を超越した質の高さを持ち、パリ風の魅力とスペインの伝統を兼ね備えています。クリストバル・バレンシアガはエレガンスと完全に構成されたフォルムの巨匠です。彼のアトリエではユベール・ド・ジバンシー、アンドレ・クレージュ、オスカー・デ・ラ・レンタ、エマニュエル・ウンガロをはじめとするデザイナー志望の若者たちが修行し、巣立って行きました。

    パリにアトリエを開くとすぐに、第2帝政を思わせる四角いヨークカットのデザインが評判を呼びました。1940年頃、バレンシアガは美容師ギロームと共同で、長く編んだ人造の髪で作った帽子を考案しました。タイトフィットのトップを持つ小さい黒いドレスというアイデアを打ち出したのもこの頃であり、その後他のデザイナーたちが好んでこのアイデアに手を加えていきました。1940年代初期の彼のデザインは、長いジャケットとゆったりしたスカートが特徴であり、スカートの代わりにキュロットが使われる場合もありました。

    1947年頃、バレンシアガは生まれ故郷スペインに敬意を表して、刺繍入りの短い闘牛士ジャケットを特徴とする、イブニングドレスのCoconラインを作りました。スペインの影響は彼のドレスにも表れました。1948年には香水とフレグランスの世界に進出し、Fuites des Heures(束の間の時間)というフレグランスを作りました。常に流行を作り出している彼は、50年代前半に、体型に沿ったスーツ、垂直あるいは直線カットのコート(襟なしのこともある)やゆったりした袖のコレクションをデザインしました。ドレスの丈は短くなり、オーバーコートの襟は広くなりました。50年代後半には、リネンやレースのチュニック、すっきりしたネックラインなどを提案しました。イブニングドレス用に、縁にさまざまな効果を施したくるぶし丈のガウンをデザインしました。1955年には香水Quadrilleを発売しました。

    1年後の1956年にバレンシアガは最初のsac en tweedを発表しました。ダブルスカート効果を用い、レースやシルクのベビードールを流行らせ、50年代を魅力的な時代にしました。50年代の終わりまでに、彼のデザインはハイウエストのドレス、襟なしのストレートコート、ショートジャケット、ウエストをつまんだドレスなどに戻りました。サックドレスは、今後もこの時代の彼のコレクションのトレードマークであり続けることでしょう。

    帝政風ドレスへの復帰は50年代の終わりまでにはっきりした傾向となり、多くの場合非対称なイブニングドレスのコレクションなどに顕著に表れました。ストレートなコートはたっぷりしたデザインに変わり、着物風の袖とバイアスカットを使った短いゆったりしたハイウエストのボックスジャケットなどがデザインされました。

    1960年はバレンシアガにとって重要な年となりました。ベルギー女王ファビオラのウェディングドレスのデザイナーに選ばれ、広く認められることになったのです。60年代の初めには美術界の影響、特に画家スルバランの影響が顕著で、刺繍入りの短いイブニングジャケットなどにそれがはっきりと表れていました。その後彼は厚地のツイードやチェック地のカジュアルな服、ケープ、バットウィングスリーブ、透けるアッシャーモヘアを好むようになりました。このカジュアルなスタイルは60年代中頃まで続き、彼はこの頃に透き通るビニールのレインコートをデザインしました。明るい模様と細かく編まれたラメも、この時期の彼のデザインの特徴でした。

    彼は1968年に最後のコレクションを発表しました。このコレクションでは長いテーラードジャケットと横縞の短いスカート、ギピュールレースのチュニック、縮みのチューブドレスが特徴的でした。このコレクションでバレンシアガは色使いを強調しました。この頃の不安定な政治・社会情勢がきっかけとなり、クリストバル・バレンシアガは人生で常にそうだったようにひっそりとアトリエを閉鎖し、引退しました。このデザイナーの写真は、最も成功していた時期のものでさえほとんど存在していません。1971年に彼は新しい香水Ho Hangを作りました。

    クリストバル・バレンシアガは1972年3月24日、スペインのアリカンテ県のハベアで死去し、生まれ故郷のゲタリアに埋葬されました。彼はファッション界のピカソ、クチュール界のモーツァルトと称されました。ココ・シャネルとクリスチャン・ディオールはクチュールに関する彼の素晴らしい才能と技能を賞賛しました。今日、彼の作品は博物館に展示されたり個人のコレクションとして収められています。バレンシアガ財団はクリストバル・バレンシアガの功績の重要性を広める活動を行ってきました。パリを本拠地とするバレンシアガのメゾンの現デザイナーは、現実世界の現実の女性のために作品をデザインする(彼自身の言)若いクリエーター、ニコラ・ゲスキエールです。